Atelier SoinのK先生の元でアトリエカルトナージュ・サティフィカコースのプルミエ(初級)、ドゥゼーム(中級)を終えた私は東京・六本木にある主宰者のビジャー香代子先生のアトリエでトワゼーム(上級)を受講することになりました。
六本木のアトリエは全国から認定講師の先生方も大勢レッスンにいらっしゃる所。知り合いの方もなく心細い気持ちと緊張感いっぱいでアトリエに伺いました。
初めてお会いしたビジャー先生はとても優しく穏やかな物腰の方でアトリエは暖かいアットホームな雰囲気でした。レッスンをご一緒した認定講師の方々や受講生の方々もとても優しく接して下さったお陰で次第に私の緊張もほぐれて六本木の環境にも慣れていきました。
六本木アトリエを当時の私は「大学」のような場所だと感じていました。
常に十数名の受講生がおりそれぞれがレベルの高い作品作りに取り組んでいます。もう初心者ではないので昔のように手取り足取りで教えて頂くわけにもいきません。指示されたことを正しく理解してこれまで学んできた技術を使いながら作品を作り上げていかなければならないのです。
課題は次第に高度になっていき大変でしたが、帰宅後にレッスンの内容を頭の中で整理して画像を交えた製作手順の資料を自身でまとめるという作業は必ず行うようにしていました。
最終的には自分を成長させるのは自分自身しかいないことを理解し始めた頃でした。
アトリエの中にはため息の出るようなビジャー先生の美しい作品がたくさん並べられていました。そして先生が時々見せて下さる新しい課題作品もそれは素敵なものばかりでした。いつも先生の美しい作品に囲まれてレッスンを受けられたのは本当に幸せなことだったと今でも有難く感じています。
通常の課題のほかにも、単発で受講できる作品やキット作品、ビジャー先生の書籍掲載作品、仏額装作品など六本木アトリエで教えて頂いた課題はかなりの数に上ります。まさにカルトナージュ漬けの日々でした。
この作品は六本木のアトリエの玄関にいつも飾ってあったビジャー先生の書籍掲載作品に憧れてレッスンをお願いして作ったものです。
先生の作品はロココ調の貴婦人が大きく描かれた素敵な生地を使われていて2つがセットになっていましたが、私も貴婦人を窓から覗かせたデザインにしました。
先生のオリジナル作品を直接ご指導を頂いて作ることが出来るなんて夢のようでした。
ビジャー先生の書籍掲載作品をレッスンで教えて頂いて生まれた作品たちはほかにも。
ビジャー先生の作品を何と表現すれば良いのか・・。上品で華があり見る者をうっとりとさせるような魅力のあるこれまで見たこともないレベルの作品でした。
しかも美しく丁寧に作りこまれた作品・・。
高級な生地、高級な装飾品を使ったとしても対抗できないような圧倒的な美の世界がそこにありました。私は改めてカルトナージュの素晴らしさと奥深さを感じる思いでした。
ビジャー先生の作品に接しているうちに私は次第に「自分にしか作り出せない世界をカルトナージュで表現したい」と切望するようになりました。当時の私にとってそれは遠い遠い道でしたが。
何せ、サティフィカコースで段階的に提出が義務付けられている自由課題ですら作るのに四苦八苦していたのですから。
トワゼーム(上級クラス)を終えディプロマコースへ進む頃には私は焦燥感に駆られるようになりました。
カルトナージュのテクニックがかなり身に付いた実感はあったものの、依然として「オリジナルの作品」と自負できるような作品を生み出す力が自分にはないと感じていたからです。
製図を勉強して複雑なデザインの作品を学べばそういう力が付くのではないかと思った時期もありましたが思うようには行きませんでした。既存の作品と似たような作品は作ることができても、自分らしいと思える作品は相変わらず生み出せずにいました。
ディプロマコースを終えたころ、自分にとって大きな転機が訪れました。
数年に一度開催されるアトリエカルトナージュの作品展がその年開催されることになったことと、さらに認定講師もビジャー先生と一緒に参加する書籍が出版されることになったのです。
私は認定講師として登録し、作品展への出品と書籍への参加を決めました。
もともとのんびり屋の私にはかなりプレッシャーのかかる出来事でしたが、
「作れば作るほど作る力がつきますから作品を発表するチャンスがあればどんどんチャレンジなさい」
というビジャー先生の言葉にも励まされて前へ進む覚悟を決めました。
自分の作品が公になるというプレッシャーの中、私は初めて本格的な「生みの苦しみ」を味わいました。
どのようなデザインの作品にするのか、それをカルトナージュの技術でどのように作品に仕上げるか、どんな素材を使うのか・・。越えなければならないハードルはたくさんありましたが、私は作品作りに没頭しました。
デザインに悩んでいるときにビジャー先生が
「何も難しい作品を作ろうとする必要はありませんよ。シンプルでも自分らしい作品ができればそれでいいんです。シンプルな作品であっても丁寧に作られた作品には品があります」と仰って下さいました。それは何よりの励ましの言葉でした。
「複雑な構造などではなくても自分らしさを表現しよう、そしてK先生からも教わった丁寧な仕事で作品を作り上げよう」と思い直し何だか気持ちが軽くなったのを憶えています。
この作品が私がその時の作品展に出品し書籍にも掲載された作品です。「手鏡スタンドとお揃いのドレッシングセット」。
複雑な構造の作品ではないのですが自分らしさが表現できたのではないかと思っています。
細部まで妥協せずに丁寧に作品を作ったつもりです。
私にとってこの作品はまさに「旅立ちの作品」となりました。
自由に作品が作れるようになるということは自転車に乗れるようになるのと似ている気がします。
こうすれは乗れるようになる、という決まった理屈はなくあれこれ悩んで頭を使い手を動かすことを重ねるうちにある日ふとそれが容易になるような・・。
ビジャー先生の仰った「作れば作るほど作れるようになる」とはこのことなのだな、と実感しました。
そして昨年も大変な年でした。
美術館で開催される他分野の方々が参加する作品展にビジャー先生と有志の認定講師の方々と夏と冬2回も参加することになったのです。
毎回生みの苦しみは相変わらずあるものの、以前よりはプレッシャーに押しつぶされることはなくなりました。「生みの苦しみ」と同時に「自分の世界を表現できる喜び」も感じる余裕も出てきたようでした。
最近ではカルトナージュの作品はデザイン力、それを作り上げる技術力、そして使う素材や装飾の選択などいろいろな要素から成る想像以上に複雑なものだと感じるようになりました。デザインさえ優れていれば良いというものでもなく、良い素材を使っているから人の心を惹きつけるものでもない、作り手の作品作りへの思いが怖いほど反映されるものだと考えています。
そう考えるようになったのも、全てにおいて高いレベルのビジャー先生の作品に身近に接してカルトナージュの奥深さを肌で感じることができたからだと思います。
そしてカルトナージュ作家として優れているだけではなく、ビジャー先生の人に物事を教えるに当たってのプロフェッショナルな姿勢も講師となった今ではお手本にしたいと思っています。
朝アトリエに伺うときちんと整えられたテーブルの上にはそれぞれが取り組む課題のレジメや材料がきれいに並べられていて、十数名の受講者に対しても資料を一瞥することもなく次にすべきことを次々と淀みなく指示される姿からはその日のレッスンに対してどれだけの準備をされているのかが窺えました。
いつも頭の中が整理されていてどんなことを伺っても誠実に魔法のような言葉を残して下さったビジャー先生。
私は六本木のアトリエでカルトナージュと向き合う本当の意味でのスタート地点に立たせて頂いた気がします。
これまで優れた講師の先生との幸運な出会いがありここまで導いて頂きましたが、ここからは「ひとり道」。
まだまだ引き出しが少ない未熟な私ですがこれからも精進し続けていきます。
だってカルトナージュが心から大好きなのですから。
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